教育と懲罰だけで風土は変わりません

相撲

また起きてしまいました角界の不祥事、

防止策として語られるのはいつも、教育と懲罰、それだけ?

色々言っても余程の不祥事をおこさない限り関取の業績評価は勝ち星や優勝回数に偏っています。
民間企業ならとにかく売上や利益をあげた者が100%善と言っているようなものです。

そんなマネジメントで組織風土を変え、不祥事を無くすことはできません。

本当に風土を変えたいのならまず、勝ち星だけではない角界が理想とする力士像を明確に示すことが必要です。
高い人格を兼ね備え、相撲道の”道”をよく理解し実践した、過去の実在の存在を示す方法もあるでしょう。
角界に所属する皆が憧れるような姿を具体的に示すことがまず第一歩です。

そして、勝ち星だけではない理想の力士像に沿った行動を高く評価する、そういう制度を作り運用する。

それでも簡単に風土という頑強なものを変えるのは簡単ではありません。
もちろん教育も時には懲罰も必要でしょう。

しかし、大事なのは、高い地位の人こそが憧れられる存在になるように努めることと、地道にぶれない組織運営を行い続けることです。

時間と根気が必要です。
これを機会に角界が良い方向に変わろうと努力されることを祈ります。

視座を高めてください!

会社の部長さんクラスの幹部によく申し上げる言葉があります。
「視座を高めてください」「社長さんになったつもりで考えてください」

一体視座を高めるとはどういうことなのでしょうか?
私はひとつの例としてこんなことがあるのではないかと考えています。

私が大学を卒業して最初に入ったとある企業でのこと、

配属先の課長代理さんが私に指導してくださったことがあります。
新入社員から見たら課長代理っていうと言われることは疑う余地なく、全て正しい人であるわけです。

「櫻井君な、仕事はキャッチボールなのよ。相手からボールが飛んで来たら素早く投げ返す。とにかく投げ返すことが大事だよ。投げたボールをどう受け止めどう返してくるは相手次第、それは向こうの責任、後は待てばいい。」
ビジネスを何も知らない新入社員である私は、これを格言のように受け止め「とにかく投げ返す、あとは知らん」を日夜実践したわけです。

視座を高めるとは、自部署の部分最適ではなく会社全体もしくは少なくとも事業部門全体の全体最適を考えることと言えます。
高い視座に身を置いているとするなら、ボールを投げても相手からなかなか返ってこない、そのことで顧客の不興を買っても「そんなのうちの問題じゃない」などと考えることはできないはずです。
全体最適のために、自らの管理範囲を逸脱してでも、働きかけをしたり、助言助力したりして、とにかく全体の業績を高める努力をしようとするはずです。

しかし、視座を高めるというのは実際にはなかなか難しいことが多いと感じます。

こういうことを当事者に向かって言うことで彼らの意識が変わり視座が高まると淡い期待を持っている私という1コンサルタントにも大きな責任があります。
「意識を変えろ」と言って変わる意識などこの世には存在しないのだ、と考える必要があります。

管理範囲を限定し、その範囲について責任を厳しく追及する組織運営そのものにも原因があります。
そのような組織運営がマネージャーの視座を低め、低業績を自らのコントロール外にある他部署の責任に帰さしめようとする効果があることは間違いありません。
その意味で、業績管理会計の基本原則である管理可能性基準のすらこのことを助長していることをうかがわせます。

ひとつの組織文化の中で長年にわたって身についた行動様式をそう簡単に変えることはできません。

とにかく組織のあり方と仕組みというハードを変え、徐々に組織の文化を変えていくという根気の必要な作業に取り組むしかなく、王道などというものは存在しないようです。

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京都人の忖度

祇園昨日は京都のクライアント先の方々と祇園で会食をしました。

会話の中で京都のディープなこと色々お聞かせいただき、知っていたこともありますが、なかなか興味深いことも多く、楽しいひと時でした。

 

老舗企業における事業継承者(経営トップ)の京都社会での想像を超える特別な位置づけ、

老舗企業における従業員の序列、

私のような同じ関西人でも大阪では考えられない独特の価値観・考え方があります。

 

そして、またまた“忖度”

顧客訪問でのにこやかな会話の中に隠された苦言、

他県の人はうっかりと聞き流すような言葉、

それを敏感に察知し対応しないと、

「お出入り禁止」にされてしまうなどということは日常茶飯事。

他県の人には、切られた原因がいっこうにわからない、そんなことも珍しくないとか。

 

そんな細やかな“忖度”の能力をしっかりと身に付けて、長年に渡ってもれなくしっかりと対応することで、初めて老舗の一員と認められ、顧客との深い信頼関係が生まれる。

そして顧客の内側にしっかりとはいりこんだ親身なサービスが可能になる。

他県の人からは「嫌味な一面」とも言えるかもしれませんが、

そのような厳しい環境下で鍛えられていることが

京都企業の強さの一因になっているのではないかと感じたわけです。

 

櫻みち経営塾で実施している経営事例研究会で扱う予定の企業「キーエンス」は大阪の企業ですが、
顧客との信頼関係をベースに現場に入り込み、卓越した提案を行う力を維持しつづけている、

京都の老舗企業の“忖度力”に通じるものを感じます。

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忖度 その1

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本年度流行語大賞の呼び名を高い、
「忖度」(そんたく)
という言葉、初めて聞かれた方も多いことでしょう。

その意味、もう既に多くの方はご存知でしょう。
大辞林によるとそれはこう説明されています。
「他人の気持ちをおしはかること。推察」

英語人にはそのあいまいな概念が理解しにくいと言われますが、、、英語で近い表現としては、reading someone is implying(・・・が暗示するのを読む)などと先の日本外国特派員協会での記者会見の席で通訳の方が説明しておられます。

さて、日本ではこの行為はごく日常的に行われます。
直接依頼するのは”はしたない”とか、”メンツが許さない”とかの理由で、意図的に忖度させようと振る舞う人も少なくありません。
ときには、忖度できない人の能力が低いとか未熟などとマイナス評価されることすら珍しくありません。

特に権威主義的な会社においてこの傾向は強いと言えます。
部下はオーナー社長や上司の顔色を常にうかがい、忖度しようと努力します。

つい先日、こんなことがありました。

とある会議で、30代の課長がある提案を行っています。
その場には社長以下役員がずらりと並んでいます。
提案を初めてしばらくして、社長の顔が険しくなりました。
提案者は「忖度」したのか、語尾が弱く変化、ついには「という考え方があります。ご裁断をよろしくお願いします。」と弱弱しく締めくくったのでした。

実はこの提案、私がコンサルタントとして関与し、半年ほどのプロジェクトを通じてまとめ上げた、メンバー全員にとっての自信作だったわけです。
私も「おいおい」と思ったわけで、フォローを試みましたがもはや後の祭り。

まだまだ十分に議論を尽くし切れていないのでは、との印象を経営陣に与えて終了したのでした。

後で社長と2人になった時に、
「社長、あの提案、お気に召しませんでしたか?」
「いや、そんなことはありません。というより、なんでしっかり取りまとめたはずの提案に自信が持てないんでしょうね」
「社長が提案中に険しい顔をなさったからじゃないですか?」
「え?、あー、あれは虫歯が疼いたからですよ」

笑い話にもなりません。

その2につづく

忖度 その2

社長の虫歯が原因で、誤って忖度したという、笑い話にもならないあきれたお話の続きです。

この話、バカだなぁ~
で終わらして良いのでしょうか?

会社における社長と言えば、
「生殺与奪」の強大な権力を持っていることが多いでしょう。

そんな人の一挙手一投足に多くの従業員は神経をとがらせます。

皆、社長から評価されたい、社長から愛されたい、
切ないほどにそう願っている、
それが多くの会社の多くの従業員の気持ち
であるということを社長、時には管理者は理解する努力をしているのでしょうか?

自分がそんなにカサの高い存在になっていると想像もできないわけです。

たとえ本人にその気がなくても、カサの高いその人が考えているであろうことを「忖度」しようとするのが、人間の、少なくとも多くの日本人の性
だとするなら、

「私はそんなつもりはなかったんです」
では済まないということです。

自分の振る舞いが周りにどんな影響を与えているだろうか?
そのことに思いをはせることなく地位を与えられている、それは無責任と言われても反論はできないわけです。

参考までに、権力はどこから生まれるのか?
経営学ではパワーの源泉として、次の5つが示されています。

(1)強制的パワー
恐怖に基づくパワー。社長や上司のように処遇面で冷遇する決定権を持っているような場合が相当します。

(2)報償的パワー
強制的パワーとは逆にプラスの便益を与える決定権を持っているような場合に相当しますので、やはり社長や上司が保有することが多いと言えます。

(1)(2)は公式組織における権限者だけでなく非公式な集団におけるリーダーにも備わっていることがあります。集団から疎外する、逆に受け入れることの決定権などがそれらの源泉に成り得ます。

(3)正当化パワー
明文化された権限に基づくパワーであり、公式組織における上長に付与されています。

(4)専門的パワー
専門的知識やスキルを保有する人が持つパワーです。

(5)同一的パワー
尊敬されることで生まれるパワー。特定の個人を尊敬し、その尊敬する人と同一化したいと思う人がいる場合、その尊敬される個人が保有するパワーのことです。

こう見てくると、権力は公式組織における社長・役員や管理者だけが持つわけではないようです。
本人が権力を行使しようとしなくても、ときとして権力は勝手にあなたに付与されてしまっているのです。

あなたは何らかのパワーを保有してませんか?
そのパワーを意図的であるなしにかかわらず、それを濫用し、
他者においてむやみに忖度を強いるようなことはありませんか?

自責の念を込めて、
コンサルタントなどという存在も、(4)のパワーを保有する可能性が高い職業です。
自らを振り返り、反省しなければと感じる、そんな

「忖度」騒動でした。

18歳成人、未熟だからダメではなく、責任を与えることで成長を促す

anime54いよいよ民法が改正され、18歳成人が実現します。(実施は早くて2021年)

しかし、18歳はまだ子供、早すぎる、などといった主張は多く聞かれます。
様々な考え方があっていいですし、それらを否定するつもりは毛頭ありません。

が、少し考え方を変えてみたく思います。
実はこれ、今から9年前にこの議論があったときからずっと言っていることです。

否定的な見解から、こんなことを連想しました。

「まだまだ彼にはこんなこと、任せられないよ」
と言いながら、責任も権限も与えず、成長の機会を先送りする上司達。

成長する時というのは、少し難しいことに責任を持ってチャレンジした時だと思います。

誰しも経験のあることです。

「未熟だから任せられない」ではなく、「成長させるために任せる」という発想、多くの成功者が口を揃えておっしゃっています。

20歳が良くて18歳がダメという理屈はないように思います。

未熟だからダメということではなく、18歳でも立派に社会参加できるようにする、逆の発想をとるべきではないかと思います。

18歳でも20歳でもどちらでも良いのです。

大切なことは、「人を育てる」ということに意識を向けることだと思います。

15歳(数え)で元服していた昔の若者は、今より精神的に成熟していたように思えます。

明治維新を成し遂げたのは多くが20歳代の若者でした。

成熟を即す社会教育の仕組みを作り、そして権限と責任を与えることでそれを更に促進する、そんな社会のあり方を考えさせられます。

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過度な分業の弊害

 前回は、過度な分業がコミュニケーションコストを増大させるということを申しました。

 今回は、過度な分業によって起こる組織にとって不都合な現象を整理しておきたいと思います。

 ひとつは、仕事の単調化です。

 個々の社員は、専門化された業務を黙々とこなすことになります。単純化された反復作業は単調化します。
 考える必要のない単調な作業は一見能率を高めるように思えますが、仕事に取り組むモラールは低下します。

 ふたつ目は、部分最適化の弊害です。
 それぞれの機能が、それぞれの組織目的の達成のみを目指すことで、失敗を他部門の責任と見なすなど、セクショナリズムが横行します。

 3つ目は、コミュニケーション・ギャップです。この点は前回のご指摘です。
 機能間において、コミュニケーションが必要になりますが、そこに、伝達ミス、伝達遅れなどといった弊害がおきます。

 4つ目は、顧客や現場の感覚を失うということです。
 過度に分業を進めると、顧客や現場と直接関わりを持たない間接人員が増加します。そして、顧客や現場を理解せず、変化から取り残された意思決定が、必要以上にゆっくりと時間をかけて行われます。 
 こうなるとその組織は死に向かって進むしかない、そう言えるわけです。

 個々の機能が、偏狭な視野で仕事をすることで、組織全体が顧客の顔を見ず、部分最適化、社内政治に明け暮れていくのです。

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コミュニケーションは少ない方がいい

“コミュニケーションは少ない方がいい”

こう言われると、何をバカなと思われるでしょうか?

でも、事実コミュニケーションは少ない方がいいのです。

皆さんは、コミュニケーションが面倒だと感じたことはありませんか?

ちゃんと相手に伝わる様に工夫しないといけない、

聞く側もちゃんと理解できるように努力しないといけない、

いずれも心理的にかなり負荷の高い作業なのです。

だから、効率的にコミュニケーションをする方法が重要で、

今、コミュニケーションスキルはビジネスセミナーや研修では人気ナンバーワンのテーマになっています。

効率的にしたいということは、即ち少ない方が良い、そういうことなのです。

モノを作るのに身体を動かす、それは必要なことです。
しかし、できるだけ効率的に行って動かす量を減らそう、それが作業改善の目的です。

コミュニケーションも同じ、なるべく負荷を下げたい、だから効率的な方法を学ぼうとするわけです。

ならばいっそのことコミュニケーションが必要無いようにできないか?

改善の前にそう考えるべきなのです。

不必要かもしれないものを効率的にやってはいけません。

何故コミュニケーションが必要ですか?

仕事の上におけるコミュニケーションの多くは、分業に起因しています。

(動機づけや良好な人間関係維持などのためのコミュニケーションを否定するものではありません)

ひとつの仕事をひとりで完結しないわけですから、前工程から後工程へコミュニケーションが必要なのです。

分業によって専門化することは仕事の効率を上げる基本的な方法です。

しかし、そのことが逆にコミュニケーション”コスト”を引き上げているわけです。

コミュニケーションには時間がかかります。

情報の質を全く劣化させずにコミュニケーションするのは単純なデータの伝達を除くとほとんど不可能です。
当然そこにコミュニケーションギャップが生まれ、仕事の不良が発生し、手戻りや誤った処理からの損失が発生します。

今から30年ほど前にリエンジニアリングというプロセス改善の考え方が一世を風靡しました。

リエンジニアリングの基本コンセプトの中に、過度な分業を否定する、ということがありました。

同じ種類の仕事は集めた方が効率が上がる、という分業の考え方を無批判に受け入れると、気がつくとコミュニケーションコストの方が大きくなっていた、などということよくあるのです。

新年度に組織を変えた会社の皆さん、そんなことになっていませんか?
要注意です。

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機能別原価という考え方

機能系統図
原価計算・原価管理の分野で、活動基準原価計算・管理(Activity Based Costing/Management)というツールがあります。
これは特定の活動、例えば設計活動、段取り替え、部品運搬などといった活動ごとに集計された原価をその活動の消費量に応じて製品に配賦するという考え方が基本としてあり、
更に、活動に集計された原価情報を元に活動量を適正化するなどの視点から原価管理を行おうとするものです。

この活動と似て非なるモノに「機能」があります。
全ての活動には必ず「機能」、つまりその目的が存在します。
ひとつの活動がひとつの機能のためだけに存在するとは限りません。
また、ひとつの機能がひとつの活動だけで満たされているわけでもありません。

そこで機能の観点から原価の発生源を整理しようという考え方が、実はかなり昔から存在しています。

もうおわかりの方も多いかと思います。
VE(Value Engineering)とかVA(Value Analysis)とか呼ばれる手法がそれです。
元々は、製品を構成する部品それぞれの機能を定義し、それらの機能を系統図の形に整理することで機能の体系を明らかにして、大きな改善を実現しようという方法論でしたが、
この方法は部品を業務に置き換えることで、業務改革(改善レベルではなくもっと上位の改革レベルという意味)において大きな成果を出せる可能性があります。

業務を改善するというと、
業務フローを見直したり、コンピュータ化したり、あるいは個人の能率を向上させるためにタイムマネジメントの方法を取り入れたりしますが、
このVE的アプローチではそれ以前に、

◎何故その業務が必要かを考えます。

以前の記事もご参照下さい ⇒ http://sakuramichi.net/herbist/20160126-01/

これ抜きに業務改善をした場合には、下手をすると、
あまり経営に貢献しない業務を効率化する、
極端な表現をすると、「不良品を効率的に大量生産する」ことになりかねません。

VE的な業務改革のアプローチでは、機能系統図(左方向が目的で右方向が手段)に整理された業務の体系は、左側の目的から右に向けて再展開を行います。
そうすることで、目的を達成するための全く異なった手段が明らかになります。
つまり、実施手続き(=How)にメスを入れるまでに、「何をどれぐらいやるのか」というWhatを変えることで劇的な成果を目指すことになります。

今、ある企業でこのようなプロジェクトを進めています。
おそらく、部分的には業務全てが取り除かれたり、半減したりなどという劇的な改革が実現できると期待しています。

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バックキャスティングの本質

backcasting
 つい先日、ある方から「バックキャスティング」という言葉を聞きました。

 とっても重要な概念なのですが、意外に耳にすることが少ない言葉です。

 現時点から今の様々な状況をを前提としてできることを考え将来の着地点を予想し進む、という「フォーキャスティング」に対して、
将来のあるべき姿から逆算ベースで今やるべきことを考え計画化し実行する、というのが「バックキャスティング」です。

 意味を聞くと、当たり前のようにも思えるかもしれません。

 「フォーキャスティング」は単独で使うと、成り行きになってしまいます。
しかし、未来予想をし、その未来とあるべき未来とのギャップを認識しそのギャップを埋めるためにやるべきことを明らかにする、つまり「バックキャスティング」とセットで使うと意味があります。

 今から15年ほど前、スウェーデン発の環境NGOの日本支部で環境コンサルティング部門の責任者をしていたころ、さかんにこの「バックキャスティング」ということをお伝えしていました。

 その頃にある雑誌に投稿した記事の一部をここで引用させていただきます。

=引用=

 バックキャスティングのことを1つの例でご説明しましょう。2003年5月号の日経エコロジー「読者の声欄」に以下の意見が掲載されていましたのでまず、全文を引用します。

 「ハイブリッド車などの低公害車への乗り換えを促進すると、中古自動車が増え、結果的に廃車も増えると思う。まだ乗れる車を手放してまで低公害車を購入することは、本当に環境のためになっているのだろうか。たとえ、排出ガス対策の遅れている車でも、とことん乗りつぶす方がゴミと資源のことを考えると環境のためになるのではなかろうか。ハイブリッド車など新しい車を次々に開発して市場に投入する一方で、環境優良企業とのイメージアップに努めるトヨタが、偽善者に映って仕方ない。」

 これに対して編集部からは、

「買い替え促進を支持する論拠は、LCA(ライフサイクルアセスメント)分析*の結果、車や家電の環境負荷は、製造や廃棄時よりも使用中の方がずっと大きいことです。」とし、

*ここでのLCAは二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量を対象にしておられます。

 使用中の環境負荷の低減効果の方が廃棄物増加による環境負荷増大よりも大きいと指摘しておられます。

 つまり、現在において車が廃棄物になりゴミの山になったりフロンが放出してオゾン層の破壊につながるという問題より二酸化炭素による温暖化問題の方が重要であるという視点から判断しておられるようです。

 しかしながら、これら2種類(廃棄物問題と温暖化)の環境負荷を科学的に比較することは不可能と言わざるを得ません。

 上記読者の見解と編集部の見解はいずれも現在からの視点で物事を考えるフォーキャスティングによっています。

 一方この問題をバックキャスティングによって考えてみると、まず「持続可能な社会における自動車とは何か」ということを明らかにします。

 その結果が例えば、「燃料電池車」あるいは「バイオエネルギーを使った車」でかつ長寿命で、リサイクルも完全になされている状態がイメージされたとします。では、「それを早く実現するためには現在どのような行動がそれを支援することになるか」という思考をします。

 これに対する答えは多分「化石燃料に依存しない持続可能な自動車開発を勇気づけるために、もしくは持続可能な自動車との技術的共通点の多い自動車を購入する。そして廃棄物のリサイクル比率を高める。」ということになります。

 現在の前提条件を元にどちらかを選ぶのではなく、あるべき姿からバックキャステイングをすることにより、このようなトレードオフの問題を解決するステップが何なのかが見えてきます。このように、フォーキャステイングとバックキャステイングではその思考プロセスに違いがあるということです

=引用ここまで=

 現状を前提とした思考では大きく未来を変えることはできません。

 誰もがおそらく考え方自体は知っている、でも十分に使いこなせていない「バックキャクスティング」、強く意識しなければなりませんね。

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